ホントはすごい内灘町〜風と砂の館〜

「風と砂の館」へ入ったのは2回目。
1回目の時はそれほど思わなかったけど、今回はなかなか面白かったんです。
説明もしていただきましたし、映像もわかりやすくて内灘ってこんなことがあったんだと、興味が湧いてきました!
まずは、「粟崎遊園」。(参考・内灘町役場ホームページより)
ここは、昔、凄かったんだよって母からも聞いていたので、どんなんだろうと興味津々です。浅野川電鉄の設立許可申請を平澤嘉太郎ら24名が発起人になり大正12年3月に提出。翌大正13年には、平澤嘉太郎が浅野川電鉄を作るときの付帯事業として、向粟崎に遊園地の開設を計画。土地を内灘村から借り、準備を始めた。
その時は、内灘村やったんやね~。
平澤嘉太郎は阪急電鉄の小林一三に影響されたことによるものが大きいんだそうです。
小林一三と言えば箕面有馬電気鉄道という小さな軌道会社の専務に就任し、箕面公園に動物園を作り、宝塚に温泉を作り、大正2年に少女歌劇を上演(今の宝塚歌劇団)した人物。今の阪急を作り上げた人。
この人のことは聞いた事があったけど、粟崎遊園がこの人に影響を受けてたなんて、ちょっと嬉しいです。
大正14年の7月19日に、平澤は私財35万円をかけて粟崎遊園を開設。9月には「コドモのクニ」もオープン。北陸の宝塚の第一を歩みだしたんですね。
母が昔一度だけ連れてってもらった事があるそう。おぼろげのようですが(^^)
金石にも「涛々園」があって、競ってたよって言ってました。
平澤没後、浅電の専務東耕三に遊園の運営がまかされ、このあたりから粟崎遊園の成長期だったようです。
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ポスターも素敵。大正の時代はハイカラだったんですね。
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レビューや大衆演劇などの娯楽がたくさんあったようです。
坊屋三郎の弟や、益田喜頓もここで芝居をしていたそうです。